斜陽館 太宰治の生家

2006.06.02

私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと 推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、 (それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される) 庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、 醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに 関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

「可愛い坊ちゃんですね」

といい加減なお世辞を言っても、まんざら空お世辞に聞えないくらいの、 謂わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、 しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

と頗る不快そうに呟き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、 その写真をほうり投げるかも知れない。

読むたびに深酒したくなる話です。ちょっと行って来ましたのでご報告いたします。


お庭があります。

個人的に気に入りました。

板の間

使用人はこちらで食事をしていたようです。

レトロな照明。

ほかにランプも吊るしてあったので,電灯は少し後に
なってからのもののようです。

大きなお屋敷ですが,
現代の「会社」と考えるとどうでしょう。

大店の子息のみ,将来自分の会社を背負って立つだけの
学識を持つことができる。普通の家庭の子供は
社員として住み込みで働く。

この時代の日本には,国民全員に高等教育を施すだけの
余裕がなかったため,いわゆる「エリート教育」するしか
方法がなかった。

それが今はどうでしょう。社会的に,望むものはみな
高等教育を受ける機会が与えられる社会になった。

その結果どうなったか。大学出ても就職先がない,
などということが起こる。

それがいいのか悪いのか。

そんな感想を持った旅でした。

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