私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと
推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、
(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)
庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、
醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに
関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、 「可愛い坊ちゃんですね」 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空お世辞に聞えないくらいの、 謂わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、 しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、 「なんて、いやな子供だ」 と頗る不快そうに呟き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、 その写真をほうり投げるかも知れない。 |
読むたびに深酒したくなる話です。ちょっと行って来ましたのでご報告いたします。
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お庭があります。 個人的に気に入りました。 |
板の間 使用人はこちらで食事をしていたようです。 |
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レトロな照明。 ほかにランプも吊るしてあったので,電灯は少し後に なってからのもののようです。 |
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大きなお屋敷ですが, 現代の「会社」と考えるとどうでしょう。 大店の子息のみ,将来自分の会社を背負って立つだけの 学識を持つことができる。普通の家庭の子供は 社員として住み込みで働く。 この時代の日本には,国民全員に高等教育を施すだけの 余裕がなかったため,いわゆる「エリート教育」するしか 方法がなかった。 それが今はどうでしょう。社会的に,望むものはみな 高等教育を受ける機会が与えられる社会になった。 その結果どうなったか。大学出ても就職先がない, などということが起こる。 |
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それがいいのか悪いのか。 そんな感想を持った旅でした。 |